物語だんだん

だんだん物語となるべし段の談

美術学校のモデル

画像 洋平とユカリと山本先生

扉がノックされ、一人の若者が入ってきた。松田画伯の息子の洋平だった。

洋平 松田画伯の息子

「山本先生、ご無沙汰しております」

「松田さん、久しぶりね」

「先生、昨日、妹は帰ってきませんでした」

「なんですって」

「安岡教授のところへ行くと言ったきり帰ってこなかったのです」

「安岡教授には訊いてみた?」

「モデルを終えて夕方には帰った、それ以上は知らない、と」

 

 安岡教授がモデルを探している時、ユカリを紹介したのは山本先生だった。

「警察へは?もう知らせましたか?」

「駐在所へ連絡しました。近所を捜索してもらっていますが、何も進展ありません」

「どうしましょう、それは心配だわ」

 山本先生は顔を曇らせた。

「先生、安岡教授に取り次いでください。帰ったあとは知らないと言って、もう会ってくれないのです」

「今、教授室にいるはずですから、私が一人で話を聞いてみます。ここで待っていてください」

 

 しばらくして戻って来た山本先生の話はやはり実りのないものだった。今日のところは帰るよう山本先生に説得されて松田は校舎の玄関を出た。

山本先生 美術学校の教員

 松田さんが妹の失踪を伝えに来た時、これは大変なことになったと思いました。

 安岡教授は日頃からモデルさん達からの評判が悪かったのです。芸術を追い求めるあまりモデルを物のように扱い無理を強いたりすることが多いようでした。学校で手配しているモデルさん達では、安岡教授のモデルを務めてくれる人はいなくなりました。学校としては、日本美術会の重鎮である安岡教授にモデルがいないなど、あってはならないことでした。

 そのころ松田さんとユカリさんが訪ねてきたのです。ユカリさんが絵画の道へ進みたいとの相談でした。お父様の松田画伯はこの美術学校へも時々講師として来ていたので、面識のある私を頼ってくれたのです。松田画伯は残念なことに突然の事故でお亡くなりになりました。私は松田さんとユカリさんのことはずっと気になっていました。二人の力になってあげたいと思ったのはもちろんですが、私はユカリさんを見てすぐに、安岡教授のモデルにならないか持ちかけました。モデルになれば勉強にもなるし、この学校へも入学しやすくなるだろう、と。安岡教授もまさか松田画伯のお嬢さんに対して失礼なことはしないはずだ、そんな算段もありました。今思えば、甘い考えでした。ユカリさんが帰っていないと聞いた時、私はすぐに安岡教授を疑いました。どこかに監禁でもしているのではないか、私は真っ青になりながら安岡教授の部屋へ向かいました。

 安岡教授はたいそう機嫌が悪く、私を部屋へ入れようとしませんでした。少しだけ開けられたドアの隙間から私は問いかけました。

「安岡教授、ユカリさんが帰っていないそうです」

「その話はさっき聞いた。私は何も知らない。もうその話はしないでくれ」

 安岡教授は私を押しのけてドアを閉めました。そして鍵をかける音がしました。

 何度かドアを叩いたり懇願したりしましたが、吉岡教授の返答はありませんでした。

 

 しかたなく自分の部屋へ戻ると松田さんが切羽詰まった表情で待っていました。吉岡教授の様子を伝えると、松田さんは薄目を開けて私を睨んで、学校の中を調べさせてくれと言いました。私はその迫力に怯みそうになりましたが、とにかく今日のところは、となだめて松田さんには帰ってもらいました。松田さんの力になってあげたい気持ちはやまやまでしたが、これ以上、安岡教授の機嫌をそこねる訳にはいきません。松田さんがおとなしく校舎を出ていくと、私は内心ほっとしました。少し気を落ち着けて、どうしたらいいか考えてみよう、途方に暮れながらも、私には為す術はありませんでした。

画像 マンガ 山本先生を訪ねる兄と妹

 翌日、警官がやってきて美術学校を捜索しましたが、ユカリさんは見つかりませんでした。

 松田さんは納得しませんでした。ユカリさんは、お父上の死後、美術学校以外に外出することはなくなっていた、家にいないのなら美術学校にいるはずだ、美術学校で何かあったとしか考えられない、そう言い張りました。

 松田さんはそれから毎日のようにやってきましたが、学校内を歩き回ることは許可しませんでした。女性ばかりの学校で男の人がうろついたり、失踪した人の話などして生徒達を不安にさせるわけにはいかなかったのです。この件は公にはされず、校長先生にも生徒達にも伝えられませんでした。ユカリさんの失踪に美術学校は関わっていないのです。警察もそのように判断したので、次第に私は松田さんの訪問を煩わしく思うようになってきました。

 一月ほど経つと松田さんが美術学校へ来ることはなくなりました。しかし私の心は晴れませんでした。安岡教授は何かを知っているのではないか、私は注意深く安岡教授を観察しました。しかし安岡教授は普段通り、感情の起伏は激しいものの取り立てて様子がおかしいことはありませんでした。私は一番恐ろしい結末も考えましたが、まさか安岡教授がユカリさんを手に掛けるとは、どうしても思えませんでした。安岡教授はこれまで通り機嫌のいい時は本当に朗らかだったのです。

美術学校の生徒たち

 ある放課後、生徒達の騒ぐ声が聞こえてきました。

「何を騒いでいるのです。もう下校時間ですよ」

「山本先生、この本、見てください」

 リーダー格のメグミさんが差し出した洋書には不気味な挿絵がありました。

「図書館でフミさんが見つけてきたのだけど、フミさんったら」

「どうしたの。フミさん、話してみなさい」

 私に促されてフミさんはしぶしぶ話し出しました。

「校長室の壁に掛けてある絵が、この絵に似ているなと思って」

「校長室?フミさん、届け物を置いておくよう頼んだことはあるけれど、室内をあれこれ物色することは許しませんよ」

「いえ、物色なんてしていません。絵が目に入ってしまうのです」

 フミは思い切った様子でしゃべりだした。

「先生、この間、校長室へ行った時、久しぶりに絵を見たのです。目に入ってしまったのです。そうしたら、絵の中の人が、人が増えていたのです」

「増えていた?」

「その時は気のせいだろうと思って忘れていました。だけど図書館でこの本を見つけて」

 本のタイトルは『降霊会』となっていました。挿絵は確かに校長室の絵と似ていました。

「フミさん、この挿絵を見つけて、すごく怖がっちゃって」

「だって降霊会だなんて、校長室の絵も降霊会の絵かもしれないと思うと怖くなってしまって。そういう絵って、呪いとかありそうでしょう」

「落ち着きなさい。校長室の絵は、校長先生がご自分で持ち込まれた絵です。きっと大事になさっている絵なのでしょう」

 私はフミさんの手から洋書を取り上げました。

「これ以上校長室のことを何か言うことは許しません。この話はもう終わりです。さあ、もう帰りの支度をしなさい」

 

 私は常日頃からフミさんの観察眼に感心していました。おっとりして優柔不断だけど、ほかの人が見過ごしてしまうような些細な事にすぐに気付くような、とても目ざとい子でした。

 私はフミさんに気を付けなければ、と思いました。小さな変化に敏感なフミさんは自分では物事の意味を深く突き詰めたりしないけれど、フミさん近くにはいつもメグミさんがいる。彼女は本当に利発で賢くて判断も早い。フミさんの気付いた物事にメグミさんが意味付けを始めたら、事態が悪いほうへ転がるかもしれない。そしてサキさん、サキさんは・・・。

 ユカリさんの失踪は安岡教授や美術学校は関係ない、それは私の願望であり、そしてやがてそれは私の信念となっていったのです。

 私はフミさんやメグミさんたちを注意深く見張ることにしました。 

校長室

 ユカリさんの身が心配でなんとか捜し出したい気持ちはもちろん私にもありました。ユカリさんは何処にいるのだろう。やはりユカリさんは学校の中でいなくなったのだろうか、時折そんな思いに囚われて、学校内でユカリさんが隠れていそうな場所がないか、つい捜してしまうこともありました。

 

 そんなある日、校長先生に用があり私は校長室へ向かいました。部屋の扉を開けて灯りをつけると、何故か壁に飾ってある額縁に引き寄せられて、その絵の前に立ちました。

「ああっ、これは」

 私の身体は震えだしました。

 絵のなかにユカリさんがいたのです。