「隠し部屋だ」 サトウは手にしていたランタンを部屋の中にかざした。暗闇に診察台らしきベッドがいくつか浮かび上がった。ほかに何もない空間にポツンポツンと置かれた診察台が不気味だった。「秘薬は、きっとここにあるんだわ。この秘密の部屋のどこかに隠してある」トーラとサトウは部屋の中に足を踏み入れた。
隠し部屋
二人は手にしたランタンの灯りだけを頼りに部屋の中を歩いた。診察台をいくつか通り過ぎて部屋の奥まで進んだ時、床に置かれたものが二人の歩みを止めさせた。異様に目を惹く大きな石の箱だった。
二人はこわごわと近付いた。その形はまるで棺のようだった。
「サトウ、この蓋を開けてみて」
「これは、棺桶じゃないのか。開けるのは、ちょっと」
「こういう中にこそ、隠してあるのよ」
棺のような箱には、ずしりと重い蓋があった。サトウは蓋をなんとか横にずらしてやっと箱を開けることができた。
「うわあっ」
「きゃあ」
二人は思わず尻もちをついた。
箱の中に人の形をしたものが横たわっていた。
「まさか、これは、死体?」
土気色をした顔は、死後ずいぶん時間が経っていることを表していた。
サトウの背中からこわごわ箱を覗き込んだトーラはまた別の悲鳴を上げた。
「ひいっ」
トーラが叫んだ。
「お、お母様」
トーラは両手で口を覆った。
「そんな、土葬にされたはずなのに」
横たわっている死体は女性の衣装をまとっていた。
「どうして、こんなところに」
トーラは嘔吐きそうになりしゃがみこんだ。
「ここを出よう」
サトウは横にずれていた蓋をなんとか元に戻した。
トーラとサトウは もつれる足で部屋を出て暗い廊下を全力で走った。
明るい南棟の居間に辿りつくと、二人はソファに倒れ込んだ。
南棟の居間
しばらくして落ち着きを取り戻したトーラは言った。
「鍵があった」
サトウも鍵を目にしていた。死体の胸に置かれた両手に鍵が添えられていた。
「あれは地下室の鍵にちがいない」
「トーラ、こんな目に遭って、まだ鍵のことを言うのか」
「今度こそ秘薬を手に入れてみせる」
「もう秘薬はあきらめたらどうだ。ハンスに継いでもらえばいいじゃないか」
「口出ししないで。この家の秘薬は私のもの」
「トーラ、これ以上秘薬にこだわるなら僕はもう身をひくよ。君はこの家を守るように生まれついている」
「サトウ、逃げようったってそうはいかないわ」
トーラはサトウを見据えると冷たく言い放った。
「このままあなたを城へ閉じ込めることもできるのよ。ギヨン家の捕縛や鍵は誰にも破れない」
サトウは言葉を失った。まさかトーラは最初からそのつもりで私を城へ呼んだのか。
サトウの引きつった顔を見てトーラはニヤリと笑った。
「うそよ。秘薬を手に入れたらすぐにベルリンへ帰りましょう」
ハンスと母
「えっ、お母様に会いたいかって?」
「あなた、お母様が恋しくてしかたないのでしょう」
ペガサスで遠出をしようとしていたハンスはトーラに引き止められた。
「ハンス、私、お母様に会ったの」
驚いて口を開けたままのハンスは、すぐに天使のようなあどけない表情を浮かべて口をとがらせた。
「ずるいよ、僕も会いたいよ」
「大丈夫よ。会わせてあげる。今日、昼食のあと、私の部屋へ来てちょうだい」
「サトウ、今日の午後、もう一度あの隠し部屋へ行くわ」
「トーラ、もうよそう。僕たちが見たものは夢か幻だったんだ」
「そういうわけにはいかない。私はすべてを捨ててあなたとの結婚を選んだ。だけどなにも、捨てる必要はないと気付いたの。私は秘薬を手に入れて、それを持って、あなたの国へ嫁いでいく」
「トーラ、話し合おう。君はやはりこの家を継ぐべきではないのか」
トーラはサトウを見据えた。その目に冷たい怒りの炎があった。
「私に同じことを言わせないで。あなた、縄か鎖で縛られたいの?」
サトウは黙り込んだ。
「私に逆らわないほうが身のためよ」
母との再会
絵の掛かっている廊下を通る時、ハンスは尻込みした。トーラはハンスを急き立て、無理やり隠し部屋へ連れて行った。
「こんな部屋があるなんて知らなかった」
ハンスはこわごわ隠し部屋に足を踏み入れた。
トーラは怯えるハンスを引きずるようにして部屋の奥まで連れてきた。棺のような箱に気付いてハンスはますます怖がった。トーラはハンスを棺の前へ押し出した。
「トーラ、やめて。こわいよ」
「サトウ、棺の蓋を開けて」
言われるままにサトウは重い蓋をずらした。死体は前と同じまま横たわっていた。
ハンスはサトウの肩につかまりながら棺の中へそっと目を向けた。
「お母様だ」
ハンスは棺の縁をつかんで覗き込んだ。
「ああ、お母様、会いたかった」
ハンスは怖がることもなく死体の顔に手を伸ばした。
その手が顔に触れた途端、死体が微かに震えたように見えた。
そして死体の目がゆっくりと開かれたのだ。
「きゃあ~」
「うわぁぁ」
トーラとサトウは顔を引きつらせて後ずさった。
ハンスはビクッと震えて怯えた表情を見せたが、すぐにまた棺に顔を近付けた。
「お母様、ねえ、生きているの?」
「ハンス、その鍵を取りなさい、早く」
トーラが叫んだ。
ハンスは怖がることもなく死体の胸に置かれた鍵を持ち上げようとした。
するとしわがれた声が小さく響いた。
「ハ、ン、ス」
死体の唇が動いたのだ。
「ひぃっ」
ハンスは驚いて鍵から手を離した。トーラはサトウにしがみついた。
そして棺のなかでは、死体の手がそうっと持ち上がり、何かをつかもうとした。
「逃げよう」
サトウはトーラの腕をつかんで走り出した。
「待って、置いて行かないで」
ハンスはあわてて二人の後を追った。三人は足をもつれさせながら部屋の扉を開けて廊下へと走り出た。