物語だんだん

だんだん物語となるべし段の談

寄宿舎の夏休み

画像 隅田川の花火に出掛けたサキ

夏休みの寄宿舎はひっそりとしていた。この夏、帰省しなかったのはフミだけだった。広い寄宿舎に生徒はフミひとり、舎監は山本先生だった。

寄宿舎の廊下

「フミさん、ちょっとよろしいかしら」

 夕食の時間になり食堂へ向かう廊下を歩いていたフミは後ろから声を掛けられた。山本先生が燭台を手にして廊下に立っていた。

「はい、山本先生。何でしょうか」

 廊下の暗がりのなかで、山本先生の顔が燭台に照らされて浮かび上がっていた。

「私は毎晩、警備のために舎内をパトロールしています。フミさんも一緒に歩いてくれますか」

「えっ、一緒に?あの、どうして」

「一人じゃ見落としがあるかもしれないし、誰もいなくてあなたも退屈でしょう」

 山本先生は有無を言わさない強い口調でフミを見下ろしながら言った。

「今夜、消灯時間の前に食堂へ来てください」

「今夜?今日からもう始めるのですか」

「なにか出来ない理由がありますか」

「いいえ、山本先生。大丈夫です」

 

 その晩からフミは山本先生と一緒に寄宿舎の中を歩いた。

「何かおかしなことを見つけたらすぐに言うのですよ、ためらわずに」

「はい、山本先生。わかりました」

 人気のない広い寄宿舎は静まり返っていた。山本先生の持つ蝋燭の灯りで二人の周囲だけが仄暗く照らされていた。二人の静かな足音が高い天井に小さく響いた。

 フミは恐ろしさに身を縮めた。こんなことはやりたくない。毎晩のパトロールが苦痛で仕方なかった。

山本先生

 私はフミさんを夜のパトロールに誘うことにしました。

 フミさんはとても目ざとくて観察眼の鋭い子です。

 どんなささいなことでもいいからユカリさん失踪の手掛かりを見つけられないかと思ったのです。

 そしてなにより、フミさんを私の支配下に置きたいという思いが強かったのでした。

お見舞い

 盆が明けてメグミが寄宿舎に戻ってくると、美術学校に驚きの知らせが届いた。

 サキが車と接触して入院したのだ。メグミとフミは山本先生に許可をもらってお見舞いに向かった。

 サキは骨折と打撲で2週間ほど入院治療が必要とのことだった。

隅田川で花火を見ていたら、よろめいて車にぶつかっちゃった。すごい人混みで押し出されてしまって」

「サキさんらしくない。普段しっかりしているのに」

「そうだよ、サキさん。もし事故に遭ったのが私だったら、フミさんらしいって言われるに決まってる」

 フミの言葉に3人は声を上げて笑った。

「夏休みいっぱいは入院になりそう。9月の新学期には退院したいな」

「あせらず、ゆっくりお休みなさい」

「それに今、寄宿舎に戻っても、きっと楽しくないよ」

 フミは言った後で、しまったという顔をした。

「どうして」

「ううん。なんでもない」

「フミさん、何かあったの」

 メグミがフミの顔を覗き込んだ。

「たいしたことじゃないよ、ただ」

「なあに。言ってみなさい」

「山本先生が、毎晩、誘いに来るの。一緒に寄宿舎のパトロールをするようにって」

「パトロール?」

「なにそれ」

「フミさん、先生と一緒に夜の寄宿舎を歩いているの?」

 サキとメグミは顔を見合わせて吹き出した。

「怪しい者はいないか、異変はないかって?」

「二人が歩いているところ想像すると可笑しい」

「山本先生は真面目な恐い顔をして」

「隣でフミさんはビクビク怯えながら、今にも逃げ出しそうにして」

 サキとメグミはお腹をかかえて笑い出した。

「そうだね、可笑しいよね」

 フミもバツが悪そうに笑い出した。なんだ、おもしろい。私、どうしてあんなに怯えていたんだろう。3人で大笑いした。

画像 マンガ 病室のサキとメグミとフミ

山本先生

 8月にサキさんが交通事故で入院しました。

 足の骨折だけで命に別状はないと聞いて安心しましたが、私はまっさきに松田さんのことを考えました。

 まさかサキさんに何かしたのではないか。

「洋平さん、うちの生徒が事故にあいました」

 松田さんは私をにらみました。

「どうしてそんなことを僕に言うんですか」

「一応確認しなければと思って」

「その事故とやらは僕と何の関係もない」

 松田さんはきっぱりと否定しました。

「気を悪くさせてしまって、ごめんなさい」

 それでも確認しなければならなかったのだ。

 私は心のなかで思いました。

 サキさんには、絶対、手を出してはいけない。

 私は松田さんに強く言いました。生徒達に決して危害をくわえないでほしい。

 松田さんは憤慨しました。当たり前だ、美術学校の生徒に付きまとわれるのは困るが、生徒達に何かするつもりなどない、今自分がやらなければならないのはユカリの絵を手に入れることだけだ。だからさあ早く、降霊会の準備をしてほしい。ユカリに会う可能性があるなら、どんなことでもやりたいのだ。

寄宿舎の廊下

「フミさん、ちょっとよろしいかしら」

「はい、山本先生」

 夕食の時間が近付き食堂へ向かって歩いていたフミは後ろから声を掛けられた。

 山本先生は燭台を手にして廊下に立っていた。フミはいやな予感がした。前にも廊下でこんな風に声を掛けられた。そして夜のパトロールに誘われたのだ。

 山本先生は応接室のドアを開けてフミを部屋へ招き入れた。

 フミは緊張した。

「この本を覚えているでしょう」

 テーブルの上には『降霊会』とタイトルのついた洋書が載っていた。

「はい先生」

 暗い部屋の中で山本先生の顔が蝋燭に照らされていた。

「降霊会をやります」

「はっ、あの、今、なんて」

「今夜、降霊会を行います。メグミさんと一緒に、夕食のあと応接室へきてください」

「降霊会って、あの、今夜?」

「メグミさんには先程、伝えました。ほかの人に言ってはいけません。私とメグミさんとフミさん、三人で行います」

山本先生

 私は松田さんが狂気に浸されていくように見えました。そして私自身もその狂気に引きずられて、もう後戻りできないような恐れに囚われていました。それにユカリさんの失踪に責任を感じていた私は、なんとかユカリさんの行方、真相に辿りつかなければ、というあせりにも囚われていたのです。

 

 私は降霊会を開くという案がだんだん魅力的に思えてきました。幸い、夏休みに入り寄宿舎に残っている生徒はほとんどいない。寄宿舎でなら降霊会を開けるのではないか、今ならサキさんがいないので好都合なのではないか、私はそう考えました。そして盆が過ぎた8月下旬、メグミさんが帰省先から戻ってきました。私はメグミさんの力を借りようと思いました。彼女はやると決まったら文句を言わずにやる人でした。そしてフミさんはメグミさんが一緒なら協力してくれるだろう。そう踏んだ私はメグミさんにただ一言伝えただけです。今夜、降霊会をやる、と。メグミさんは、わかりました、と言いました。いざとなったらある程度の事情を話すのも仕方ないと覚悟していましたが、メグミさんは何も訊かずにフミさんを連れて応接室へ来てくれたのです。