物語だんだん

だんだん物語となるべし段の談

シスターの訪問

画像 山本先生の訪問

洋平は何も考えたくなかった。何もしたくなかった。ユカリの顔、燃える校舎、校長室、そんなものが繰り返し洋平を襲っていた。

山本先生の訪問

「洋平ぼっちゃま、山本先生がお見えです」

「会いたくない。帰ってもらってくれ」

「いけません、ぼっちゃま」

 珍しくカヤさんが強い口調で言った。

「そんな風に閉じこもって食事もろくに摂らないで。カヤは許しませんよ。亡くなった旦那さまや奥様に顔向けができません」

 カヤさんは部屋の前で仁王立ちになり、洋平が部屋から出てくるまで動こうとしなかった。

 洋平は仕方なく下に降りて客間に向かった。

 

 部屋に入った洋平は山本先生を一瞥すると無言でソファに腰かけた。

「松田さん。突然お邪魔してすみません」

 山本先生の挨拶に洋平は見向きもしなかった。

「美術学校は火事になり校舎は全焼しました。松田さんにはちゃんと報告しようと思って今日こうして」

 

 洋平はむかついた。

 こちらの言うことは聞こうともせず拒絶し続けたくせに、今更ノコノコとやってきて。

 だいたいその格好はなんだ。ふざけているのか。

 

「そんな恰好でうちに来ないでくれ」

「この服はバザーで買いました。時間がとれなくて学校から直接来たのです。また戻らないといけないので」

 忙しいなら来なきゃいいだろ、洋平は心のなかで悪態をついた。

「この服を着ていると、生徒たちは遠くからでも私だとわかります。悪いことができないよう道を踏み外さないよう監督するのが私の務めです」

「それで道を踏み外した僕にお説教しに来たってわけか」

「松田さん。あなたが心配で来たのです」

 洋平はそっぽを向いたまま言った。

「校長先生には話してくれたんですか。僕があの絵を買いたいって」

「いいえ。校長先生は本当にお忙しい方なので」

 洋平は顔を上げて山本先生をにらんだ。

「学校の再建委員会が設置されて私はその委員になりました。校長先生とお話しする機会もあると思いますから、その時には」

「あの絵は火事で燃えてしまった」

「校舎が燃え落ちる前に、少しですが、運び出された備品もあるのです。その備品の管理も再建委員会がやります。先日見た限りでは、備品の中に校長室の絵はなかったのですが」

 洋平は興味なさそうに顔をそむけた。

「あの火事で亡くなった人はいません」

 山本先生は少し言いよどんだ。

「気を悪くしないでほしいのですが、身元不明の遺体もありませんでした。だから、まだ、どこかにユカリさんは、その、生きて」

 そうなのだろうか。

 ユカリがいなくなって2週間以上になる。ずっとユカリを捜しまわった。どこにも何の痕跡もなかった。忽然と姿を消したユカリ。

 洋平は窓に目をやった。木々の向こうに離れが見える。

「山本先生、ちょっと来てください」

 

 洋平は山本先生を離れのアトリエに招き入れた。

 なぎ倒されたキャンバスを元に戻してユカリの絵を順番に並べた。

「うちの弟子が描いたんです」

 山本先生は顔をひきつらせた。

「順番に見て行くと何が起こったのか分かるでしょう」

 山本先生は何度も絵を見た。

「こんなこと想像で描けますか。少なくとも、あの弟子にそんな才覚はなかった」

 山本先生は絵を見つめたまま茫然とつぶやいた。

「火事の少し前、生徒がこう言ったんです」

 山本先生の顔は蒼白だった。

「校長室の絵に人が増えている、と」

 洋平は驚かなかった。

 ユカリはあの絵の中にいたのだ。それが真相なのだ。

 

 山本先生はまた来るからと言って松田家を辞した。

 見送りに出たカヤさんが懇願した。

「先生、本当にまたいらしてくださいまし。洋平ぼっちゃまはずっと部屋にこもりっきりでした。今日は先生と一緒にお茶を飲んでくれました」

画像 マンガ 山本先生の訪問

学校への帰り道 

 美術学校へ向かいながら山本先生は洋平を思った。

 最初に会った時の冷めたまなざし、今ではそれが憎しみを伴って私をにらんでくる。校長先生の絵を買いたいと言った時の必死の表情。その話を受け入れた時のほっとした顔。あの時洋平は「ありがとう」と心からの言葉を発していた。

 立場上、学校を管理しなければならず、安岡教授の機嫌を損ねるわけにもいかなかった。

 だが、もっと洋平の気持ちに寄り添ってあげればよかった。もっと洋平の力になってあげればよかった。もしかしたらユカリさんを助ける方法があったかもしれないのに。

 学校も新しく再建される。今までのような学校への忠誠はもう捨てよう。

 これからは洋平さんを支えたい。味方になろう。私が洋平さんの保護者代わりになるのだ。

山本先生の再訪

「先生、よくいらっしゃいました」

 カヤさんは喜んで山本先生を迎え入れた。洋平を呼びに行き、お茶やお菓子をたくさん運んでくると台所へ戻っていった。

「松田さん、ちゃんと食べていますか」

 洋平はうわの空だった。

「離れの絵を燃やそうと思う」

「ユカリさんが描かれているのに?」

「あんな奴の絵にユカリがいるなんて許せない」

「お弟子さんのことは知りませんが、洋平さんが嫌なら処分したほうがいいですね」

「ユカリの絵を描くつもりだ」

「それはユカリさんも喜ぶと思います」

 洋平は向き直り山本先生の顔をまじまじと見つめた。

「今日はいやに同調しますね。今まで僕のいうことは否定ばかりしていたのに」

「それは誤解です。私は常識的なことを伝えていただけです」

 洋平は興味なさそうに横を向いた。

「洋平さん、お話があるのです」

 山本先生は意を決したように言った。

「不確かなことを言うべきではないとわかってはいるのですが、この先なんの手立てもなく洋平さんに伝えないままになってしまうのは良くないと思いました」

「さっさと用件を言ってもらえますか」

「実は、あの校長室の絵が残っているかもしれないのです」

 洋平は驚いた。

「持ち出された備品のなかに、絵はなかった、と言ってたじゃないか」

「備品とは別に、天祥堂医院に行った時、似ている絵を見たのです。近付くことはできませんでしたが、大きさや額装からするとあの絵かもしれないと思えるのです」