物語だんだん

だんだん物語となるべし段の談

行方不明の妹

画像 洋平とユカリ

洋平はお手伝いのカヤさんからユカリの不在を知らされた。ユカリを心配するとともに家のことに無関心だった自分を悔いた。

安岡教授 

 ユカリが帰宅しなかった翌朝、洋平は美術学校へ赴いた。

 安岡教授への面会を申し込むと教授室へ通された。洋平は、モデルの仕事のあとユカリがいなくなったことを伝えた。だが吉岡教授は不機嫌そうに自分は関係ないと言い放った。夕刻にモデルの仕事を終えてユカリは部屋を出た、それからのことは自分は知らない、自分はユカリが帰ったあとも制作に没頭していたのだ、と言いつのった。

「松田画伯のお嬢さんだから安心していたのに、帰ってないとは不謹慎な」

「ユカリが家に帰らないなんて初めてです」

「ゴタゴタは困るよ。まだ描きかけなのに途中でいなくなったりしたら、私のこの大作はどうしてくれるんだ」

 ユカリの心配をするわけでも自分の制作に支障が出たら困ると言い出す安岡教授に、洋平は思わず教授の胸倉をつかんで壁に追い詰めた。

 洋平の剣幕に一瞬ひるんだ安岡教授だったが、大声で虚勢を張った。

「出ていけ。今すぐ出ていかないなら警察を呼ぶぞ」

 洋平は薄目を開けてにらんだ。

「こっちこそあんたを警察につきだしてやる」

「私を、この私を、あんた、だと。私を一体誰だと思っておる」

「あんたに構っているヒマはないんだ」

 洋平は部屋を飛び出した。背後で灰皿かなにかが飛んで壁に当たる音がした。安岡教授の喚き声が廊下にまで響いていた。

駐在所

 洋平は美術学校を出て駐在所へ向かった。年配の警官が出てきて対応してくれた。いかにも近隣の相談ごとに長けているという感じの話しやすい警官だった。早速行方不明の手配をしてくれるという。ほかの駐在所にも連絡してすぐに捜索を開始するとのことだった。

 

 駐在所からの連絡を待つ以外、洋平にできることはなかった。近所やユカリが行きそうな場所を捜しまわったが何の手掛かりもなかった。

 

「坊ちゃま。ユカリ様は見つかりましたか」

 帰宅するとカヤさんが泣きそうな顔で近付いてきた。

「どうかユカリ様を捜してくださいまし」

 洋平の後を付いてまわり同じ訴えを繰り返す。

「わかってる。少し静かにしてくれないか」

 

画像 マンガ 洋平に泣きつくカヤさん

 

 ユカリはやはり美術学校のどこかにいるのではないか。あの安岡教授の激高ぶりは却ってあやしい。ユカリをどこかに隠しているのではないか。あるいは怪我とか急病とか何かがあって、どこかの部屋で保護されているのかもしれない。

 

 安岡教授と喧嘩になってしまい、これ以上美術学校へ行くのは気が重かったが、洋平は山本先生に相談してみようと思った。この家にも来たことがある人だ。ユカリをモデルにと誘ったのも山本先生だ。

美術学校

 山本先生は洋平の訪問を歓迎した。しかしユカリが行方不明だという話を聞くと表情を曇らせた。山本先生は教授室へ行ってくれたが、安岡教授は、知らない、自分は関係ない、の一点張りだったそうで、やはりユカリの行方は掴めなかった。

 

「学校の中を調べさせてください」

「それは認められません」

「ただ建物の中を見て歩くだけです。じゃないと僕は納得できない」

「そもそもここは女学校です。男の人は原則立ち入り禁止です」

「人がいなくなったんですよ。原則もなにも、すぐに捜さないと」

「学校が関係あるとは限りません」

「だから関係ないのかどうか調べさせてください」

「洋平さん、気持ちはわかりますが、どうか騒ぎ立てず、私に任せてください。ほかの先生にも訊いてみます。学校のなかも何か変わったもの、不審なものがないか私がよく調べてみます」

 山本先生はそう約束して渋る洋平を説得して帰らせた。

 

 しかし洋平は諦めなかった。山本先生の姿が校舎の中に消えると、すぐに学校へ舞い戻った。

 

 校舎の周りを歩いてみると裏にも出入口があるのがわかったが、そこは施錠されていて、何年も使われていないようだった。仕方なく正面玄関へ戻り、用務員や職員の目を盗んで学校へ侵入した。

 辺りの様子を窺い、誰もいないのを確認しながら廊下を歩いた。

 廊下に沿っていくつかの部屋を探索しながら通路の奥まで来ると階段があった。洋平は階段を上り二階へと足を踏み入れた。

 

 二階の奥には立派な扉の部屋があり、案内札には校長室と書かれていた。

 洋平は扉に触ってみた。鍵はかかっていなかった。

 洋平はすぐに校長室の扉を開けた。何のためらいもないことが自分でも不思議だった。

 足を踏み入れるとそこは別世界のように明るい大きな部屋だった。ガラス張りの窓が壁いっぱいに設けられ、高窓から日が射しこんで部屋全体が輝いていた。窓の外には生い茂った樹木と青空が広がっていた。

 

 洋平は窓へ近付こうとしてふと足を止めた。まるで何かに呼ばれるかのように壁のほうを見た。

 そこには一枚の絵が掛けられていた。洋平は息を止めた。

 

 絵の中にユカリがいた。

 絵の向こうから洋平を見つめていた。

「ユカリ、まるで生きているみたいだ」

 洋平はユカリの姿に見入った。

 絵の中のユカリは洋平の視線を受け止めて微かに口元をゆるませた気がした。洋平の来訪を喜んでいるかのようだった。

 洋平は絵の前で立ち尽くした。

 

 どこかで何か物音がして洋平は我に返った。

 廊下の様子を窺いながらそっと校長室を出て校舎を後にした。

 

 翌日、駐在所の警官が家に来て捜索状況を教えてくれた。

 警察は美術学校へ赴き職員や先生に質問をした、敷地内をくまなく捜索したがこれといって異常はなかった、ユカリさんの行方はまだ何の手掛かりもない、引き続き捜索する、とのことだった。

 

 洋平はそれから毎日のように山本先生を訪ねた。山本先生の話はいつも同じだった。ユカリさんの姿は見かけない、学校に何も異変はない。そしてだんだんと不在を告げられたり用事があるとかで取り次いでもらえなくなっていった。

田村 松田画伯の弟子

 田村は美術学校へ忍び込んだ。

 校長室へ侵入し壁に掛けられた絵を取り外しにかかった。しかし絵は壁に硬く固定されていて何故か外れなかった。

 取り外せない額縁にいらついて田村は手を止めた。田村の目に絵の中の光景が映った。

 絵には異国の女性も描かれていた。

 その異国の女性は緑のガラス玉のような目で田村を見つめていた。

 田村はその美しいガラス玉から目をそらすことができなくなった。

 そして田村はその目に引き込まれるかように、どこか別の知らない世界へと瞬く間に吸い寄せられていった。

 抵抗する間もなく声を上げることさえ出来ず一瞬の出来事だった。

 

 田村は暗闇のなかにいた。灯りがなかった。

「俺は、どうなったんだ。ここは、どこだ」

 ユカリのように絵の中に入ってしまったのだろうか。田村は暗闇のなかを手さぐりで進んだ。何も見えなかった。何もなかった。

「ここは何処だ。ここは、絵の中なのか。おい、誰かいるのか。いたら返事をしてくれ」

 どこからも何の音も聞こえてこなかった。

「ユカリ、どこにいるんだ」

 ユカリの姿は見えなかった。あたりを照らす燭台もなかった。

 誰もいない何もない暗闇のなかで田村は絶望の怒声を上げ続けた。